昭和45年8月2日 夜の御理解



 あの、あるときに求めさせて頂いておりました。金光様のお書きになった額が、今日、ようやく着きました。もう、随分になります。えー、何回も、あの、久保山さんが、電話を掛けられて、色々詮索した頂いて、向こうでは出したという。途中では、ここには到着しないといったようなことでございましたが、今日、やっと、無事に、まあ、破損もなしに到着しましたから、早速、共励殿に掲げさせていただきましたら、丁度、そこの為にあつらえたような、私は、また、小さい、共励殿には、ちっと小さすぎはせんかと思っておりましたら、そんな段ではない。もう、丁度、思うたよりも、ここで見ますと大きくて、共励殿に持って来いのような、ああ、はりかえ、あの、表装し直そうと思うておったところが、改めて見ましたら、表装もとにかく、立派な表装でありますし、そのまま、あそこに掲げさせて頂いております。まあ、その事一つだけでも、私は、その、おかげを頂いて、そこまでおかげを頂くためにも、その、おかげの紆余曲折と申しますかね。えー、そのようなところを通って、様々な事柄のあれがあって、様々な事によって、いわゆるおかげを受ける。一つのおかげを受けるということはね。その、やはり、大変なことだと思いますですね。神様の働きも、おー、本当に、実に微妙なところへ御働きかけられる。あとで、おかげというところまで思うただけでもですね、まあだ、私共が、知りえないところに、どのような働きがあっておったかも知れんと思いますと、本当に、あの、額を掲げてみてから、あそこを、通るたんべんに入ってから、見せていただいて、有難いなと思わせて頂くんでございますがね。お互いの頂くおかげもそうです。ただ、おかげを頂いて、この額が、ここに揚がったという、それまでに、どのくらい神様の様々な、それこそ、紆余曲折と申しますね。そういう中に、おかげへ、おかげへ、納まるところへ納まるべく、うー、そのために、あちらへ流され、こちらへ流されしてきて、そう言う神様の手の込んだ働きを、その中から感じないわけには参りません。私も、簡単におかげを頂いてということの中には、もう、大変な、私は神様の御神意がそこの中に込められてあると。
先ほど、えー、熊谷さんがお届けしておられますのに、お孫さんの浴衣を縫われる。たたれる時に、もう、とんでもない間違いをして、まあ、裁ちそこのうたと、こう。まあ、それでも、まあ、裁ちそこなわせて頂いたんだから、と言うて、まあ、有難うございますを申し上げてから、縫い上げさせて頂いたら、その、裁ちそこのうたところが、丁度、まあ、目に見えないところに、継ぎ目がいっておったような事だったんでしょう。ま、どうやら、おかげを、あー、手が抜けれるようにおかげを頂いた。触らんようにおかげを頂いたという訳なんですけども、そういう例えば、一つの、間違いといやあ、間違いですけども、その中に、神様のふかーい御神意というものはですね。そういう中にも、おかげと感じさせられるところまでには、様々な働きがあったろうかと思いますですね。間違えさせられたというではなくて、いや、それが、間違えたのが、間違えたことになっていなかったということに対してでもです。色々と、神様の手の込んだお働きの中に、それがあったんじゃないでしょうか。もう、私共は、もっと、もっとね。御神意、おかげのその、深さというものをですね感じなければならない。そして、そこを通るたんべんに、入ってみてから、そのおかげを思わせて頂くように、一つのおかげに対しても、繰り返し繰り返し、一遍お礼を申し上げたから、それで良いということじゃないというようなことまで、こう、感じさせられますですね。どうぞ。